そういう習慣のない場所でしか生活したことのないものにとっては、本来不要なものを催促されているような気になる。
利用したコンドミニアムにはサービス料も部屋のクリーニング料も別枠にして請求されていたので、枕元にチップを置く必要もなかったが。
フラダンスショーステージの後ろにあるバニアンの木 |
三日目の夕方無料のフラダンスショーを見にワイキキビーチへ出かけた。夕日が沈んだ後ステージでの音楽やフラダンスは、このハワイ旅行でもっともハワイ気分を味わった時間だったかもしれない。
観客は無料で鑑賞できるとはいえ、きっと彼らはなにがしかの報酬を受け取っているはずだと一般的には思う。ホノルル市とか観光協からの援助なしにはあり得ないだろうと推測するが、
ショーを終えた後、フラガールたちがフラ学校のためにと貝のレイを渡しながら寄付金を募っていた。
私はフラショーを見て、とてもいい時間を過ごせたと思い、US5ドルを渡し貝のレイをいただいた。5ドルでレイももらっっちゃっていいのかなと思いながら。
ステージのフラガールたちは日本人かもしれないと思わせる容姿の人が半数近くいたので親近感もあり、何かお礼の一言をという気持ちもあった。
そんなやり取りをしていると、後ろを通り過ぎる人の会話が聞こえてきた。
”ああやってチップを渡すのね” ”あら、ほんとだ”
私としては、チップというよりは寄付、またはありがとうの気持ちだった。チップのように、そこで働く従業員をサポートするために義務的に払うものではないのが寄付だと思う。
美しいフラダンス |
この旅行最後のチップは最終日のホノルル空港行のタクシー。日本人のような容姿と物腰で”ナカムラサマですか?”と聞かれたときから私の頭の中は日本語モードになってしまい、日本語で話しかけてしまった。が、二言目からは英語だった。
それはさておき、このたった一週間のホノルル滞在で自分の変化に気が付いた。この親切なタクシー運転手は ”チップを期待してこのように親切にしてくれるのだろうか”と、彼のサービスは金銭のためなのではないかと思ったのだ。
今までは人に何か親切にしてもらっ時、または気の利いたサービスを受けた時には、ただありがとうという気持で、その言葉を返すだけだったのに。または、こちらが形でお礼をしようと思っても断られることの方が多かった。お金を目的にそんな行為をするとは考えもしなかった。
(逆に、インドのホテで少年のポーターたちがこぞって私のスーツケースを部屋まで運び、少ないチップだとそこを立ち去ろうとせず、そこそこ十分であればさっさと退散した。こんな風に、チップで稼ごうというのが見え見えだと、ある意味納得できるというか、気分的にもすっきりする。)
たった一週間で、私の中で”人はお金のために行動する”という意識が強くなった。こんな風に環境や慣習に影響されやすい自分。ハワイに生まれなくてよかった。生活の拠点を日本またはニュージーランドにできて良かったと思う。親切や善意で生きていける空間がまだ残っていると思えるから。
カメハメハ大王像の近くで |
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