2018年7月14日土曜日

弘前の本屋

30年以上前、弘前市に3年間住んでいた。今は無き、国立大学医療短期大学部という大学とも短大とも言えない学校の看護学科に通っていた。進路に関しては仕事と直結する分野しか考えられなかったし、なんとなく医療関係の仕事が面白そうだと思い幾つか受けたが、合格できたのはここだけで、しかも補欠だった。

この学校はいわゆる当時の看護学校のように病院に詰めて実習するというタイプのものではなく、9時から3時までの実習という期間はあるけれども、それ以外は校内で必要な科目を履修したり、症例研究や実習の準備学習だった。

こういう中途半端な学校形態だったため、大学に行っています、と言えばウソを言っているような気持ちになるし、かといって看護学校とも言いたくないささやかなプライドも持っていた。そんなことどうでもいいことなのに、と今なら言えるけれども。

この学生時代の3年間は安アパートで独り暮らしをしていたが、きっと普通の大学生もそうだったように、時間はたっぷりあった。もともと本を読むのが好きだったので、繁華街にある紀〇〇屋書店や、何件もあった古本屋へも通った。

今はブックオフでそれなりにきれいな中古本が安く手に入るけれども、当時の古本屋では煮しまった本が無造作に置かれているのが普通で、その中から気に入った本を見つけ出すのが楽しみでもあった。

確か学生2年目の時に弘前市の繁華街に丸〇書店がオープンした。看板の丸〇の文字が光っていて、二重になったガラスの入り口を通ると店内には新刊書、専門書がぎっりとと並んでいる。知的なにおいがプンプンし、そこにいるだけで自分が時代の先端にいるような気分になった。

当時はやりだったポストモダン関係のコーナーはひときわ輝いていて、本を手に取ってペラペラめくっては、いつか買って読もうと決意した。残念ながら、そのたぐいの本は、この生涯で買うこともなく読むこともなかったが。

その若き日の思い出が詰まった弘前の丸〇書店へ、数年前日本へ帰省した際に30年ぶりに行ってみた。当時の自分に会えるのではないか、失ってしまったかもしれない希望とか夢などを取り戻せるのではないかという期待を持って。

シャッター街とまでは言わないまでも、当時繁華街だったその通りは舗道はきれいに整備されているにもかかわらず、人通りがほとんどなかった。この街も他の地方都市のように中心的な商業地域は郊外に移ってしまったのだろう。

丸〇書店の看板の文字は多少褪せているような気もしたけれど以前と同じで、当時がよみがえってくる。ガラス張りの入り口を30年前と同じようにドアを押して入った。

30年が経っていた。たりら~ん、たりらりら~ん w(゚o゚)w 

20歳だった私は50を過ぎている。

こんなに狭かったっけ。こんなに暗かったっけ。専門書が壁にぎっしりつまっていたはずなのに。並べられた本は、なんとか隙間を埋めている。ほかに客もなく、レジに一人担当者がいるだけ。お店が変わったの、私が変わったの?

浦島太郎の玉手箱、開いてしまった。現実。




16x12cm Acrylic
しずく

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